オーストラリアの首都「キャンベラ」はシドニーとメルボルンが争った結果の妥協案だった?

シドニー、メルボルン、ケアンズ、ゴールドコーストなど、オーストラリアには魅力的な観光名所や主要都市はいくつもあります。ですが、「では、オーストラリアの首都は?」と聞かれると即答できない人も多いのではないでしょうか。オーストラリアの首都は上記いずれでもなく、「キャンベラ」という都市です。

実は、キャンベラは首都になると決まってから人工的に作られた「計画都市」なのです。では、なぜそのようなことが起こったのか、今回は、オーストラリアの首都キャンベラについて歴史的観点から探っていきましょう。

オーストラリアの首都キャンベラはどこにある?

オーストラリアの地図

オーストラリアは6つの州と2つの特別地域から成っています。その中で首都のキャンベラは、オーストラリア首都特別地域(Australia Capital Territory)に属しています。地図を見ても分かる通り、オーストラリア首都特別地域は地理上ではニューサウスウェールズ州の中に位置しています。少し違和感を感じる人もいるかもしれませんね。

ちなみに、日本からキャンベラへの直行便はありません。キャンベラへは、まずオーストラリアの主要都市まで行き、そこから飛行機もしくは電車、バス、車で行くことができます。

キャンベラがオーストラリアの首都になるまで

そもそも、シドニーをはじめとした多くの大都市があるなか、なぜキャンベラが首都になったのでしょうか。オーストラリアの歴史を振り返りながら見ていきましょう。

イギリスによる支配

ご存知の通り、オーストラリアはその昔イギリスの植民地でした。イギリス人が初めてオーストラリアを訪れたのは1770年のこと、海図作成や化学調査のためにキャプテンクックがシドニー湾付近に上陸します。当時イギリスは、植民地支配をしていたアメリカが独立宣言を行ったことから、新しい流刑植民地が必要でした。そこで、イギリスから遠く離れたこの地を植民地にすることが決定され、その後、植民地化はオーストラリア西方へも進んでいきます。

ゴールドラッシュと都市の発展

1851年にはニューサウスウェールズ州で金が発見され、ゴールドラッシュが始まります。これが、現在オーストラリアで最も人口が多い都市シドニーが栄えたきっかけともなりました。さらに、同時期にメルボルンのあるビクトリア州でも金鉱が発見されたことで、世界各地から多くの人々が集まり始めます。

ゴールドラッシュをきっかけにシドニーやメルボルンは大都市へと発展し、その他の地域でも町や交通網が整備されていきます。

キャンベラの誕生は妥協案だった?

19世紀後半になると、オーストラリア国内で国家成立を目指す動きが始まります。念願叶い正式にオーストラリア連邦として自治が認められたのは1901年のことでした。

しかし、いざ連邦国家成立となると、まずどこに首都を置くかが大きな問題となります。

連邦成立時、暫定首都としてメルボルンが首都の機能を果たしていましたが、2大都市であるシドニーとメルボルンはどちらも自分たちの都市を首都にしたいと主張し、激しい論争が起こりました。しかし決着がつかず、1908年、妥協案として両都市のほぼ中間に首都を置くこととなり、ニューサウスウェールズ州から分割された土地に首都キャンベラを建設することが決定されました。

冒頭でもご紹介した通り、キャンベラは自然にできた都市ではなく、首都機能を持たせるために人口的に作られた「計画都市」だったのです。ちなみに「キャンベラ」という名前は、先住民であるアボリジナルの言語で「出会いの場所」を意味します。

計画都市キャンベラの建設

さて、ここから、何もない大地に都市をつくるという壮大な計画が始まります。キャンベラの都市建設にあたっては、世界中から都市計画案を募集し、人工の湖の周りに中心的な都市機能を配置するというシカゴの建築家ウォルター氏の案が採用されました。

建設事業は1913年から開始され、旧国会議事堂が完成したのは1927年のこと。その後、それまで首都機能を果たしていたメルボルンから連邦議会を移動させ、正式にキャンベラが首都として機能し始めます。

世界恐慌や戦争に左右されながらの都市建設

残念なことに、その後、世界恐慌や第2次世界大戦が相次いで起こり、キャンベラの都市建設は思うように進みませんでした。終戦後、改めて本格的に計画を進めていき、1958年には、ロバート・メンジース首相が首都開発委員会を設置しました。官庁がメルボルンから移転したことによって、人々がキャンベラに移り住むようになり、タウンの建設も進んでいきます。

1964年にキャンベラ建設になくてはならない人工湖「バーリー・グリフィン湖」が、1988年には新連邦議会議事堂が完成。首都が決定されてから80年の時を経て、ようやく「首都キャンベラ」ができあがりました。

現在のキャンベラ

現在、キャンベラはオーストラリアで人口第7位の都市にまで成長しています。

美しいバーリー・グリフィン湖を挟んで北側には国立大学や文化施設、商業施設などで栄え、一方南側には連邦議会議事堂をはじめとした主要な行政機関が集まっています。緑も多く残され、自然と都市がうまく調和された美しい街並みが特徴です。

オーストラリアの他の観光都市と比べると地味な存在ではありますが、綿密な都市計画のもと作られたキャンベラは一見の価値ありです。ぜひ機会があれば足を運んでみてください。

オーストラリア独自の首都の在り方

キャンベラがオーストラリアの首都になったきっかけはシドニーとメルボルンの激しい争いからでした。今日のオーストラリアに多くの主要都市があるのは、発展している都市に首都機能を置かなかったおかげなのかもしれません。東京一極集中の日本に慣れている私たちにとっては少し不思議に感じますが、キャンベラのような首都の在り方もとても興味深いものですね。